初めまして!
てるもです。
サイトをご覧いただきありがとうございます。
私は昼はヤギ飼育の仕事
夜はファーストフード店で働く49歳のダブルワーク主婦です。
このブログでは
40代の主婦がゼロからWEBマーケティングを学んで
1年後には月収20万円を稼ぐ!
までの実際の過程をこのブログでお届けします。
私の家族は夫、子供は3人。末っ子は来年大学受験を控えてます。
住宅ローンはまだまだあります笑
夫の両親と同居もしているのでお金以外に将来のことも考えるとお金と将来の心配はあります。
主婦。高卒。49歳。パソコン初心者。インスタは少し触れる程度。
そんなわたしが学んでいるところは
実践形式で学べるWEBマーケティングスクールです。
これは、ビジネスマインド、ワードプレスでのサイト構築スキルからSEO対策、ライティングスキル、動画編集スキル、Youtubeマーケティングスキル、TikTokマーケティングスキル他多数のスキルに加えて実践形式インプット2割。アウトプット8割。WEBマーケティングを徹底的に学べる環境があり、実際に学んでいます。
①Web(ウェブ)
インターネット上の様々な情報(テキスト・画像・動画など)を関連づけ、
結びつけるシステムのことを言います。
②マーケティング
商品の企画から集客、売り上げを上げるところまでトータルプロセスが
マーケティングと言います。
私はこのスクールで知識を学んで稼げるプロを目指すことにしました。
40代主婦がWebマーケティングを学んで
1年後に副業在宅ワークで月収20万円を稼ぐ!
これが私の目標です。
どうしてスキルもないのにいきなり決断行動することになったのか?
どうして在宅ワークなの?
WEBマーケティングなの?
ちょっと変わっていますが私の自己紹介がございます。
ご覧になっていただけたら嬉しいです。
基本情報
名 前 | てるも |
---|---|
生年月日 | 1975年5月11日(40代と言いたい49歳) |
血液型 | B型 |
性 格 | のんびりしているようでせっかち。 |
趣 味 | 音楽(XG、優里、Bz好き)、読書(ワンピース最新刊まであり。他)、占い(ゲッターズ飯田さん) |
好きな動物 | ヤギ、牛、犬、猫 |
幼少期〜中学時代:お金って大事
私は東京で3人姉弟の長女として産まれ高校まで東京で育ちました。
性格は夢みがちでお世辞にも要領がいいとは言えない大人しい性格の子でした。
頑固で神経質な性格ですごく世間体を気にする父と父の言うことには『はいはい』と従順。さっぱりとした性格の母。
東京の下町で5人家族。古い賃貸アパート(お風呂は外)に家族5人で暮らしていました。
父は長距離トラックの運転手。体が丈夫でない母は簡単な内職をして家計を支えてくれていました。
今思えばよく喧嘩をしていた夫婦でした。
父はもう他界していますがよくこの2人が離婚せずいたと感心するほど。
当時の私はこの父が大嫌いでした。
それというのも父はすぐにカッと怒るたちで
しょっちゅうある幼少の頃からの喧嘩に加えて
お金のことでよく揉めていてわたしはそれがとても嫌でたまりませんでした。
私が小学生4年生のある日事件が起こります。
給料日。父が会社からのお給料を無くしてしまったのです。
当時のお金で30万円。大金です。
『どうしよう。』
サーと血の気の引くような感じがしました。
まるで自分がお金を落としてしまったように不安で不安で仕方がなかったのです。
当時私たちの知らないところで父の借金もあったようでその日は激しい喧嘩がありました。
喧嘩をしている父と母。その怒鳴り声を聞きながらわたしはこの時強く思ったのは
『お金はたくさん稼がないといけない。』
なぜかお金というワードに注目してしまったわたしはお金さえたくさん稼いで
蓄えていれば安心という考えにたどり着いたのでした。
結局、お金の方は父方の祖母と母方の祖父からそれぞれ借金をしたそうです。
私にとって働くことは
お金を稼ぐ🟰安心を得るために必死に働くのは当たり前。
こんな風に思い込みの強い性格の私は早くたくさんお金を稼いで心から休まる生活を送りたいと強く思うようになりました。
中学、高校生〜新社会人:安定求めて自衛隊へ!
元々、勉強が好きではなかった私。
努力をすることもなくただの将来は大金持ちになりたいと思う中学生に成長していました。
成績はというと
国語2
数学2
理科2
社会3
英語1
こんな感じで、ほぼ壊滅状態。
勉強してこなかった積み重ねが自分に返ってきただけなのですが
でも私はこの後に及んで往生際が悪く
勉強はできないけれど高校は進学したい。
1人だけ高校に進学しない選択はない。
でも行ける高校は限りなく少ない。いやほぼない。
探し続けてやっと見つけたのが都内の私立の女子高でした。
経済的に厳しい我が家なのになぜ私立なのかというと
受験できる公立高校がたまたま不良の溜まり場のような場所だった。のが理由。
見学に行ったその高校の様子を見た途端‥
今でいう陰キャの私は
『無理。』
と両親に頼み込んで
なんとか私立の希望校に滑り込むようにして入学となったのでした。
高校での平和な高校生活を満喫してのち
将来について考える時期になりました。
この時の私はもう就職一択。早くお金を稼ぎたい。収入を得たい。
高校の三者面談は、父が来ました。
先生に『私、就職をしようと思ってます。』というと
先生の方をチラチラと気にしながら『進学したいならいいんだぞ?いいのか?』と言う父。
私にはまだ下に2人弟と妹がいます。
進学や専門学校に行くという選択肢は私にはありません。
勉強は好きではないし
とにかく早くお給料もボーナスもたっぷりともらえる
会社に就職しようと強く思ってました。
そして決めた就職先が
陸上自衛隊です。
たまたま見ていたテレビに自衛隊が紹介されていてお給料が安定してると知ったことと、
自衛隊は国家公務員だということを知って
『これだっ!』と思い即決しました。
私は生まれて初めてじゃないかってほど必死に猛勉強
無事になんとか合格。
この合格に父は大変喜んでいました。
母親は心配をしていましたが、
自衛隊は食事はタダ。住むところも宿舎内なので家賃もかからない。
光熱費もかからない。
貯金はたっぷりできる。
私はとてもワクワクしていました。
勤務地は北海道。
自衛隊生活を十分に満喫していました。
貯金は独身時代3桁で十分蓄えることができました。
職場で今の主人と結婚し、2人の子供にも恵まれました。
そんなせっかく入隊した自衛隊でしたが
①働きながら慣れない子育てに少々疲れてしまっていた
②2人の子供を保育園に預けて自衛官として働き続けていくのに自信がなかった
③話し合いがうまくいかず夫に家事や育児など協力してもらうのが難しくなった
このような理由で6年間働いてきた自衛隊を辞めることにしました。
25歳〜42歳:介護の仕事
自衛隊を辞めてしばらくしてから家を建て夫の両親と同居することになりました。
これが意外と私にとっては転機となりました。
徐々に居心地よく生活をしていけるようになったのです。
一緒に子育てをしてもらえることでだいぶ主に肉体的にも精神的にも楽になりました。
そして某乳酸菌飲料の配達員として働くようになり
託児所もあったので子供を預け、短時間ではありましたがまた働くようになりました。
少しでもお金を稼ぎたかったからです。
配達員は3年ほど続け3人目の妊娠を機に辞めました。
31歳で3人目を出産。
その後しばらく子育てするも
『3人目も産まれてお金足りるかな?』
と気にするようになりました。
とはいえ自分の年齢も考えると
今度は腰を据えて長く働きたいと思うようになりました。
ただ自分の住んでいる地域の求人を見ても希望に合うものが見つかりません。
少しでも多く稼ぎたいと思う私。
理由はというと
夫の職場で使うランニング用の靴、ユニホーム。これはしょうがないとして
普通なら贅沢しなければ十分に生活できるところ
趣味の草野球にゴルフの道具や洋服
夫の職場の付き合いでの飲み代もかさんでお金がかかりました。
そして私もたまに友達と飲みに行きたいと家計の足を引っ張っていたと思います笑
子供もいるのにお恥ずかしい話です。‥ですが
このままではまずい‥
そこで私は
末っ子が幼稚園に行くようになるのを待って在宅介護ヘルパーとして働き始めました。
ちょうど私が住んでいる地域では時間の融通がある程度聞き、お給料も良かったので
必要な資格は受講して済む『在宅介護ヘルパー2級』の資格を取って働き始めました。
しばらくはご利用者さんの自宅へ行って在宅ヘルパーとして働いてましたが
末っ子が小学高学年の頃には収入アップをねらって次は
『介護福祉士』の資格を取得しました。
この頃になると昔の勉強嫌いは嘘のよう。
それはもう必死でした。
資格を取得するのにテキスト代などで私の場合10万円ほどかけてましたので
取れませんでしたじゃ済まないのです。
生活がかかってます。(身から出た錆ではありますが。)
人って生活のため、家族のためなら学力さえも向上するのだなと実感しました。
そして在宅介護からもっとお給料の条件のいい介護施設の事業所に就職。
資格手当もつきました。
この頃が最も忙しく大変な時期でした。
今度は施設に住んでいるご利用者さんの介護をする仕事につきました。
介護のお仕事はとても充実してやりがいがあり楽しくて
中でもお給料の良さに本当に助けてもらいました。
資格を取るのにかかったお金も半年以内で元が取れました。
当時の私の給料が一時、夫の給料も超えるくらいの金額だったので
こんな私でも頑張ればこんなに稼げるんだと嬉しかったのを覚えています。
上の2人は高校、中学生の頃で学費が少しずつかかる時期だったので
お給料面では本当に助かってました。
ただここも4年で残念ながら辞めることになりました。
原因は
健康で丈夫なのが自慢だった私が
体の方が先に参ってしまったことがショックだった。
その他でいうと職場環境はありがちな職場の人間関係でゴタゴタ。
これは意外と気にはなりませんでしたが
人が慢性的に足りなく離職も多い。
どこもそうなのだろうと思いながら働き、
休憩どころか食事も取れないくらいの忙しさ。それもしょうがない。
夜勤は準夜勤で月に多い時で13回。
夜勤明けのその足でご利用者さんを連れて通院介助に行くことも。
体重は7キロ減り、
月の労働時間は100時間を超えてしまった時もありました。
自分は良くてもこんなふらふら状態の私でしたから
ご利用者さんが優しくとても気を使われるが多く、
私は申し訳ないのとなんとも言えないモヤモヤした気持ちでした。
こんな状態でしたから
流石にお金の好きな私も肉体的にもう限界でした。
いよいよ精神的に参ってきたので
介護の仕事を辞めることにしたのでした。
43歳〜 : ヤギを育てる
介護の仕事を辞めた私はしばらくは休んでいましたがそれも長くは続かなく
次の就職先を決めにハローワークに行きました。
前職の介護の仕事で、体力も精神力も尽きてしまいズタボロ状態になっていた私。
癒しを求めてしまった結果が
「もう。動物にしよう!」
気づいたら畜産動物の求人票を手にしていました。
最終的に牛かヤギで悩んだ末
ヤギは珍しいし面白そう?
という好奇心からヤギ飼育の仕事に就くことになりました。
お給料はというと前職の半分。
前職でちょっと働き過ぎたのもあり
身をもって体力の限界値近くまできたのでもう無理はできないなと思い
お金よりもまずは体のメンテナンスに意識を向けるようになった私でした。
お給料部分はそれで自分を納得させることにしました。
もともと自然の中で動物を育ててみたいと思っていたのもあり
私はヤギの仕事に没頭していきました。
時には1ヶ月間休みなく働きすぎて上司に注意されることもありましたが
楽しい毎日でした。
それでも動物を扱う仕事は時に辛い現実にも直面したりしてしましたが
春の出産では当時32頭いた親ヤギから
一気に60頭ほどのかわいい子ヤギが産まれ
めちゃくちゃ忙しくなっても
本当に充実感いっぱいでした。
ちなみにこの頃の私は夜の空いている時間がもったいなく思えたのと
小金も少し稼ぎたいなと欲を大いにかいたのもありましたが
興味本位から私はここでも
性懲りもなく夜はファーストフード店で働き始めました。
その後、ヤギの展示や体験をするのに国に必要な申請するため
資格を取得する為、また勉強をしなくてはならないことに。
民間資格の「家庭動物管理士」という資格を取るには取ったのですが
この資格3年後に更新手続きがあると分かり、
更新時期に試験の為にまた勉強をしたくないと思った私は
今度は有効期限がない「愛玩動物飼養管理士」という資格を
続けて取りにいくという事態に(笑)
これも子供頃‥勉強をやってこなかったツケが回ってきたのかとぐったりしてました。
もうなるべくならもう勉強はしたくはないと
この時の私は後にもっと大変な勉強をしなくてはいけないなんて思ってもいなく
のんきに「これでもう安心」とホッとしていました。
占いにハマる
そしてヤギの仕事にもファーストフード店の仕事する生活に慣れ始めた頃には
私にとってWebマーケティングの世界に飛び込むきっかけになる出会いがありました。
その最初の出会いは「占い」でした。
今までのアップダウンのある人生の中で悩むことが多くなってきて
自分が重ねている努力が将来答えがでるものなのか?
進んでいる道は正しいのか?
行き詰まった時どう考え、どう進めばいいのか?
私は自分に自信をつけたく誰かに背中を押して欲しいという思いもあって
私は占いにハマっていました笑
ある日、職場の方から面白い占い番組があると聞いた私は
そこからその占い番組にハマり
中でも赤い仮面をつけた皆さんもご存知かもしれない有名な占い師さんに
どハマりしてしまいました笑
ある日、占い師さんのラジオ番組(プロ野球のオフシーズン期間限定)があり、
これは生放送中にリスナーさんを番組内で占ってくれるというものがあるにですが
いつも1000人くらい応募が殺到する超人気の番組。
私も応募するだけしてみようと軽い気持ちで応募して
なんとそれが当選してしまったのです。
抽選に当たった私。
夕方番組スタッフさんから電話がありました。
‥大変。
とすぐに後悔しました。
まさか当たるなんて思わなかったーーー!
だってその日は
会社の飲み会がある!
そう。会社の。
占う時間が決まってる訳でないからいつでも電話に出れないとマズイ!
どうする?
どうする?
でも。
占って欲しいーーー!!!
そのときスタッフさんからの
『‥ではもう一度確認なんですが、本日の生放送大丈夫でしょうか?』
に思わず
『はい!大丈夫です!宜しくお願い致します!』
と‥私言ってしまいました。
『ありがとうございます。ではお時間になりましたらお電話しますので宜しくお願いします。』
電話を切ったと同時に時計を見る。
午後5時15分。
欠席不可能な飲み会は‥午後7時00分。
よし。
私は覚悟を決めて会社の飲み会へと行きました。
ことの詳細を説明するとあっさり
「知らなかったわー。Teruさん占い好きなのね。」こんなテンションで
私が占われている様子を皆さんは優しく見守っていてくださいました(笑)
こんな私ですが性懲りもなく
占い本に
学びにお金を使うとよい。ケチケチしないように。
今までとは違う価値観のことを学ぶとよいとあったので
まるっと信じ込んでいた私は
「そうか!新しい学びかな?習い事かな?」
面白いのがいいな〜できれば将来役に立つ資格とか?
‥などと勉強嫌いだった私が占いのおかげで
Webマーケティングを学ぶのに必要な
勉強モードに完全ギアチェンジできた瞬間でした。
勝社長とWEBマーケティングスクール〜現在
2つ目の出会いはオーダーメイドスーツRe.museの勝社長でした。
TikTokを見ていた時のことです。
画面に映るスーツをビシッと着こなした意志の強い目が印象的な美女。
彼女が発する言葉、考え方、お客様に対しての姿勢、100年先の未来への話。
当時ヤギ以外の仕事で接客にも携わっていた私は接客でうまくいかないことが多く
悩んでいました。
この話に感動を覚えてYoutubeやTikTokなどで発信されている勝社長の言葉に聞き入りました。
私は今在宅ワークで月20万稼ぐためのWEBマーケティングを学んでいるところです。
Webマーケティングスクールに応募する直接のきっかけは
勝社長のYoutubeが始まりでした。
勝社長のYoutubeは夢中になって視聴していました。
私は一気に学びへとシフトチェンジしていき
勝社長の動画を視聴しては手帳に書き写すということをしていました。
VICTORY SALON ONLIN (ビクトリーサロンオンライン)
というサロンの存在を知った私はちょうど定期的に開いている限定期間にサロンに入会をしました。
私はここでマインド教育、Webマーケティング教育、金融リテラシー教育
を毎日少しずつですが学んでいました。
私は特にこの中のWebマーケティングを学んでいるうちに
Webマーケティングに興味が湧いてきました。
もっと学んでみたい。
私は将来も会社員で外で働く働き方はどこまでできるのか?体はどこまで動くのか?
将来の自分について考えていました。
そんな私にとって
WEBマーケティングを自由に使いこなして仕事ができるスキル。
場所を選ばない働き方。
どれも将来の私にとっては必要なものでした。
そんなタイミングで
VICTORY SALON内で講師の青木創士さんが運営する
新規スクール生の募集のことを知りました。Webマーケティングスクール◀️
VICTORY SALONでもWebマーケティングの講座はありました。
ただこのスクールは更に深くWebマーケティングのことを具体的に学ぶことができ、
1年でWebマーケティングの全般を叩き込まれるコンテンツ。
1年後に学んだとこを実践して確実に稼ぐという未来が明確に想像できたのが
私がいま求めているものでした。
ただそれでも
‥正直迷いました。
お金のこと。
パソコンは初心者レベル。
家事だって忘れちゃいけない。
そもそもWワークをしているのに勉強の時間が確保できるのか?
けど
マーケティングの受講生の募集は1年に1回。春。
これを逃すと1年後。
いまの自分の年齢を考えてたらラストチャンス。
私は決断、そして行動しました。
そして私は本格的にWebマーケティングを学ぶことになりました。
目標はWebマーケティングを学び
1年後在宅ワークの副業で月収20万円を稼ぐことができること!
3年後は副業が本業へと変わり収入も増やして自宅や大好きな場所で
時間に縛られない自由に仕事ができる環境を作る!
という私の大きな目標ですが
もし「私も本業や副業で在宅ワークで稼げるようになりたい。」と
思っている方がいらっしゃるなら。
皆さんにも在宅ワークで稼げるようになって欲しい!
私が実験台になりますので(笑)
これから始まるこのブログが少しでも皆さまのお役に立てたら嬉しいです。
最後まで読んでいただきありがとうございました。